まるで自分がわからない。
- 思ってもいないことを言ってしまう。
- 本当はやりたくないのにやっている。
矛盾する自分。もう訳が分からない。わからな過ぎて怖い。
自分をつかめていないと、生きてるだけで不安になる。
一体、どこに自分が向かっているのか、わからないからだ。
そんなつかみどころのない不安に襲われたら、もっと自分を自由にしてあげよう。
いつも押し殺している自分の本音を、常識やルールから解き放つのだ。
自分が自分でない感覚や不安は、常識やルールによって自由を失った自分の気持ちの表れなのである。
自分がわからない怖さ
自分を見失い、漠然とした不安を抱えている人は少なくない。
多くの人が地に足がついていない感覚と不安に悩んでいる。
この原因は、自分を縛る様々なルール。
例えば、常識や「○○しなければならない」といった価値観などが、自分の本音を覆い隠してしまうのだ。
その結果、自分の言動に自分の意思が反映されず、借り物の人生のように感じたり、自分を見失ってしまうのである。
しかし、どんなに自分の気持ちを押し殺しても自分には感情は存在するし、どんなに自分を見失っても自分が死んでしまうわけではない。
あなたは生きている限り考えることも感じることも可能で、それを自由にできる権利がある。
だから、
- 言ってはいけない。
- やってはいけない。
という心の声に無条件に従ってはならない。
自分がわからない不安の正体
自分がわからない、と悩む人にはいい人が多い。頭が良くて、常識的で、協調性があり、周囲からの信頼も厚い。
しかし、その代償が、地に足がついていない感覚と不安なのである。
自分がわからない不安の正体
自分がよくわからないのは、自分の本音を放棄しているからである。
何をどのように考えていても、結局は
- 言ってはいけない
- やってはいけない
という思いが必ず前面に出てくる。
この「言ってはいけない」&「やってはいけない」という心の声のルーツは、法律や常識、戒律、その場の空気、約束、親の言いつけなど多種多様。
自分がわからない人は、いい人すぎてこれらすべてのルールを守ろうとしている。
本来なら、言うべきは言うべきだし、やるべきはやるべきである。
しかし、自分がわからない人は、
- これを言うべきかどうか
- これをやるべきかどうか
を考えることなく、言わない正義、やらない正義を貫こうとする。
それがその人の生き方、習慣、あるいは処世術として根付いてしまっている。
自分がわからない不安の解消
自分がわからない不安を解消するためには、自分に自由を与えよう。
脳内で行われている思考や感情をもっと自由に遊ばせるのである。
私たちが常識やルールで不自由な思いをするのは、常識やルールに注目しすぎるからだ。
まずはその視点を変えよう。
実は、私たちは驚くほど自由を保障されている。
少なくとも思考・感情の内容にまで検閲されることはない。
だから、もっと自由に考えていいし、もっと自由に感じていい。
もちろん、言いたいことは言っていいし、やりたいことはやっていい。
生きる上で大切なのは、ルールを守って常識的な人間になることではない。
自分の意志とルールを天秤にかけて、自分が何をするべきかを決める判断力なのである。
自分がわからない不安の解消法
自分がわからない不安を解消するには、自然に湧きあがった思いを却下しないこと。
そして、それを正々堂々と表現することである。
言いたいことを言う
自分がわからない人にとって、言いたいことを言うことは難しい。
それを我慢することに慣れすぎて、習慣化してしまっているからである。
そこで、言いたいことを言える人になるために、小さなことから始めよう。
まず、言いやすい人に聞いてもらえそうなことを言うチャレンジから始めよう。
例えば、友達に貸したものを返してもらうように言うとか、職場の同僚に仕事上のアドバイスをする、などである。
コツは、「この人なら聞いてくれそう」と思える相手と「この話なら聞いてくれそう」と思える内容を選ぶことである。
いきなり、緊張する相手に反発されるようなことを言おうとしても、さすがに無理。
このチャレンジに成功したら、次はもう少し難易度を上げていこう。
例えば、言いやすい人に言いにくいことを言うとか、言いにくい人に聞いてもらえそうなことを言うとか。
このバカバカしいほど簡単なチャレンジからだんだんレベルを上げていき、少しずつ言いたいことを言える度胸を鍛えていこう。
やりたいことをやる
自分がわからない不安の解消のために、夢や目標を持とう。
夢や目標を設定するためには、友達に聞く必要もないし、占い師に決めてもらう必要もない。
夢や目標は、自分だけのもの。自分で考え、自分で決めることが重要だ。
とにかく何でもいいし、どんなレベルでもいい。
例えば、映画を字幕なしで見れるようになりたいとか、海外に行ってみたいとか、何でもいい。
カッコつけて無駄に高いレベルに設定する必要はない。
夢や目標を持つことが出来たら、次は、とにかく何でもいいから一歩を踏み出すこと。
夢や目標について調べるのでもいいし、道具をそろえるでもいい。
とにかく、オールOK。
自分がやりたいと思えるものに、好きなだけハマればいい。
その瞬間こそ、最も自分らしく、本当の自分でいられる最高の瞬間。
自分がわからないという人には、こうした経験が足りないのである。
まとめ
法律や常識は、人々が社会で生きるための知恵。
これらを守ることは義務であり、正義でもある。
しかし、それは絶対ではない。
時には、何よりも自分の本音を優先するべき時がある。
人生にはそういう瞬間があることを知るべきだ。
人生で最も重要なのは、ルールや常識を守ることではない。
ルールや常識を守るべきかどうかを決める判断力なのである。