おとなしい性格の人には、以下のような特徴がある。
- 穏やかで、控えめで、温和な雰囲気がある。
- 周囲と調和しやすいため、友人や協力者が多い。
- 口数が少ない割に話す内容は的確でわかりやすく、説得力があり、賢く見える。
このように、おとなしい性格の人は周囲の人からの受けがいい。
要するに、モテる。
しかし、おとなしすぎる性格は、問題だ。
人見知りする、言いたいことが言えない、会話が続かない…、これではコミュニケーションが難しいばかりか、日常生活の様々な場面で支障が出てしまう。
不運なことに、現代はコミュニケーション能力重視の時代。
性格に起因した様々な障害に苦しみ、おとなしい性格を変えたいと悩む人は多い。
だが、おとなしすぎる性格を変えることは、決して難しいことではない。
おとなしすぎる性格の人が抱えている「間違った思い込み」を修正しさえすれば、おのずと問題は解決する。
それでは、おとなしい性格を変えたい人のための性格の治し方を解説しよう。
おとなしい性格を変えたい!
おとなしい性格を変えたいと悩む人は多い。
なぜなら、控えめでいること、目立たないことを美徳とする日本人にとって、おとなしい性格になることは1つの目標であるからだ。
しかし、不運なことに、現代はコミュニケーション能力重視社会。
意見を述べない者、議論に参加しない者には、存在感も信用も生まれない。
かつて日本人の美徳とされたおとなしい性格は、現代ではアダとなっているのである。
とは言うものの、おとなしい性格の人が持つ特徴はメリットを失っていない。
むしろ、コミュニケーション重視社会だからこそ、冷静かつ丁寧にその場をうまく収めることのできるおとなしい性格の持ち主は重宝され続けている。
重要なのは、適度なおとなしさ。
おとなしい性格にメリットがあるとは言え、周りとのコミュニケーションを拒絶したり、意見を言わずに不満とストレスをため込むようでは、自分のおとなしさを見直すべきである。
おとなしすぎる性格の原因と対策
性格は、生まれつき決まっているわけではない。
性格の基礎である「認識」を見直すことで、性格はいつでも誰でも望みの形に変えることができる。
おとなしすぎる性格の原因
性格とは、個人の思考、感情、行動のパターンである。
そして、その基礎になっているのは、個人の認識である。
認識とは、善悪の判断基準、価値観、優先順位、固定観念、常識、思い込みのことで、思考や感情のベースになるものだ。
私たちは、これらをもとに考えたり、感情を抱き、行動を起こしたり、先送りしたりする。
おとなしい性格の人の場合、その基礎になっている思想は、「他者に配慮するべきだ」という他者優先的な考え方である。
だから、おとなしい性格の人は、自分の意見を述べる前に飲み込んだり、対立を避けようとする。
もちろんこうした姿勢は、コミュニティに参加する上で欠かせない。
しかし、他者に配慮しすぎるのは、自分の立場を無駄に悪くするため、健全とは言えない。
おとなしすぎる性格の治し方
性格を変えるためには、性格の基礎となる「認識」を見直す必要がある。
おとなしい性格の人の場合、その人の無意識化に潜んでいる「他者に配慮するべきだ」という強すぎる信念を緩和しなければならない。
そうすれば、自分に対する配慮ができるようになり、言うべきを言うことが自然にできるようになる。
何事もバランスが大事。
偏ったものの見方・考え方は、偏った性格を生むのである。
おとなしすぎる性格の治し方
おとなしすぎる性格の人は、「他者に配慮するべきだ」という信念が強すぎる。
そこで、おとなしすぎる性格を変えるために、この強い信念を適度なレベルにまで緩和しよう。
デメリットを自覚する
他者に対する配慮をやめられないのは、それでも何とか生きてこれたからだ。
しかし、この先はどうだろうか。
他人対する配慮のし過ぎは、驚くほど多くの損失を生んでいる。
例えば、
- 遠慮しすぎて、自分の欲しいものが手に入らない。
- 言いたいことが言えず、面倒を押し付けられる。
- 発言の機会を失い、信用を無くす。
おとなしすぎる性格の人は、このような形で人生を損している自覚が足りない。
最悪、取り返しのつかない大損害を被ることになりかねない。
その時、恨むべきなのは、自分の運命ではない。
言うべきを言わなかった自分自身の怠慢である。
他者に対する配慮をやめられないのは、運や環境に恵まれていたからだ。
おとなしすぎる性格の人は、そのことに無自覚すぎる。
要するに、甘えているのである。
これ以上、周囲に迷惑をかけたくないのであれば、むしろ他者に配慮するべきではないのである。
逆に考える
おとなしすぎる性格の人は、反射的に他者を優先しがちだ。
そこで、そんな自分に気づいたら、すかさず自分の事情を優先する考えを持つようにしよう。
やり方は簡単。
他者に配慮した分、同じくらい自分の事情を考慮するのである。
例えば、相手の気持ちを考えて自分の意見を飲み込もうとしたとき、自分の気持ちも考えるのである。
そして、本当にその意見を飲み込むべきなのか、改めて検討しよう。
もしかしたら、その意見を述べることが両者にとってプラスになるかもしれない。
たとえ、相手の話を遮ってでも、である。
他人だけでなく、自分も一人の人間であることを忘れてはならない。
この対等な考えができた時、両者の間に健全な関係が作られるのである。
まとめ
おとなしすぎて、言いたいことが言えないのは辛い。
もっと自由に発言し、もっと活発に活動したい。
しかし、そんな自分のままでいることを選択しているのは自分だ。
まずはそのことを自覚しなければならない。
他者に対する配慮は、社会のマナー。
しかし、それさえ守ってればいい、という考え方は、怠慢だ。
相手がいて、自分がいる。
その前提で、自分の意見をどこまで出すべきか、を常に考え、行動しなければならない。
それが、社会で生きるということなのである。