- ありのままの自分でいたい。
- ありのままの自分を受け入れてほしい。
という考え方では、ありのままの自分を出した時、あなたはきっと嫌われる。
人間関係は、お互いに配慮しあうことで成立する。
それを無視した振る舞いは、単なるわがまま。周囲に受け入れられるはずがない。
みんなに愛される存在になるためには、相手への配慮が欠かせない。
逆に言えば、それさえできれば、あなたは嫌われることはない。
たとえ、どんな人間であったとしても。
ありのままの自分を出すと嫌われる?
「ありのままの自分を出すと、嫌われるかもしれない…。」
そんな思いが頭をよぎる人は、ありのままの自分を出すことを控えた方がいい。
きっとその予想は当たる。
なぜなら、ありのままとわがままの区別がついていないからだ。
人間関係は、お互いが配慮しあうことで何とか成立している。
そこに、自己都合、自分勝手を持ち込んだとたん、今までの関係はあっという間に崩壊する。
ありのままの自分を出すこととわがままにふるまうことは、明確に違う。
この2つは全く次元が異なる話で、矛盾さえしていない。
ありのままの自分を出してもなお周囲に受け入れられたいなら、まずこの違いを理解しておく必要がある。
ありのままとわがままの違い
「ありのまま」と「わがまま」のを勘違いしていると、ありのままの自分を出した時に嫌われる。
「ありのまま」と「わがまま」は全く違う概念である。まずはその違いを理解しよう。
人間関係を破壊するわがまま
人間関係の基本は、対等な関係であること。
健全なコミュニケーションは、対等な立場だからこそ成立する。
ところが、そこに自己都合を持ち込んでしまうと、これまでの関係が崩壊する。
片方が片方に自分の都合を押し付ける関係は、対等ではなく上下関係。
上下関係が作られてしまうと、下位に置かれた人は、居心地の悪さを感じる。
そして、上位の人に対して不信や不満を抱く。こうして信頼関係は崩壊する。
この時に持ち込まれた自己都合が、わがまま。
相手への配慮無しに持ち込まれたものは何であれ、それは自己都合。
たとえそれが、応援する気持ちが込められた1億円だとしても、優しい気持ちが詰まった手作りのお弁当だとしても、同じ結果を招く。
人間関係を良好にするありのまま
「わがまま」と「ありのまま」は、全く逆の概念として考えるべきである。
「ありのまま」とは、良いところも悪いところもそのまま、という意味。
つまり、「ありのままの自分」とは、ごまかすことのない自分そのものという意味になる。
精神的に成熟した人は、ありのままの自分を受け入れることができている。
自分の良いところも悪いところも自覚していて、両方を受け取る度量がある。
だから、自分の嫌いなところを必死に隠したり、無理に押し付けたり、指摘されて逆ギレするようなこともない。
その結果、周囲の人々はその人に不信も不満も、ストレスもプレッシャーを感じることもない。
だから、良好な人間関係が長く続くのである。
嫌われない自分の出し方
周囲と良好な関係と続けたいなら、相手への配慮を忘れないこと。
それさえ忘れなければ、どんな自分をさらけ出しても嫌われることはない。
むしろ、ありのままの自分を見せてくれたことを喜び、歓迎してくれるだろう。
嫌われない自分の出し方
ありのままの自分をさらけ出すことに、勇気などいらない。
相手への配慮を忘れなければ、どんな自分をさらけ出しても嫌われることはない。
期待しない。求めない。
相手に嫌われたくないなら、相手に期待も要求もするべきではない。
- ○○してほしい
- ○○してくれるはず
- ○○してよ
という期待や要求は、甘えの表れ。
嫌われるのは、この甘えた態度である。
相手とどんなに信頼関係が結ばれていても、それを疑う余地を少し残しておくべきである。
つまり、拒絶されるかもしれない可能性を無視してはいけない。
その謙虚な姿勢こそ、相手への配慮の表れであり、自分が受け入れてもらえる良好な人間関係の基礎を作る。
何もなしにありのままの自分をさらけ出して、受け入れられることはない。
その前に、まず相手に、受け入れるかどうかを選択する権利を認めること。
この余裕が、良好な人間関係を作るのである。
まとめ
ありのままとわがままを混同してしまう人がいるが、この2つは全く異なる概念である。
しかし、この2つを混同してしまうのには理由がある。
ありのままとわがままを混同してしまうのは、相手に対する期待や甘えがあるからだ。
それこそ、わがままの本質であり、嫌われる原因。
わがままは人間関係を破壊する。
相手に配慮しない振る舞いは、それがどんな行為であっても破局を迎える。
しかし、相手を尊重する姿勢さえ失わなければ、たとえあなたがどんな人間であったとしても、決して嫌われることはないだろう。